私もおかしいなと思う事があり、母の妄想ではなかった。
でも、私は積極的に母を救おうとはしなかった。
家族(私)からの強い訴えもないので、大事にはならず、
結局、施設からは母の妄想であるとされた。母は悔しがっていた。
母は「年齢の割にはしっかりしていると思われている」事が
自身のプライドの根源だったから、それを失ってから急速に老いた。
私を叩いたことも、そんな事はないと強弁した。
母との約束はなかったことになり、事前に頼んだことも直前に言い出す
困った子供にされ、母の虫の居所が悪くて殴られた事も
子供が親に叱られた意趣返しで殴られたと嘘を言っているとされた。
母は最初は特に兄を標的にしていじめた。私は時折いじめられた。
母は「作ってやった弁当を兄が捨てた」と世間に吹聴していた。
自由になるお金を持っていない兄が昼食を捨てるはずがなかった。
弁当を食べていたという証言が出ても、「いつもではないが
捨てられた事が何度かあった」と強弁した。
証拠がないから世間は母を信じ、同情した。
兄は学校を卒業後、社員寮のある会社に入社して家から逃亡した。
次に主にいじめられたのは私だった。
私が小学生の頃は「空想と現実が混ざった嘘」、
中高校生の頃には「反抗期のせい」と
「子を愛さぬ親はいない」という社会の思い込みを利用して、
親が子供を虐待するはずがないと世間から思われ続け、
子供が拗ねて話をねつ造して困っている母親を演じた。
私は女の子だから家から出るのは絶対に許さないと言われ
逃亡できたのは結婚してからだった。
最後に残った父がいじめられだした。
それから父は死ぬまでの約30年間、母にいじめられ続けた。
母は私に父の介護、下の世話で大変だったと私に恩を着せた。
父は足腰が弱ってヨタヨタとしか歩けなかったが、自力でトイレに行けた。
たまに帰省して数日間過ごし、毎回、自力でトイレに行っている父の様子を
見て母に疑問を言うと、
「娘が帰ってきたらうれしくて歩けるようになったのよ」と嘘を言った。
父は「いつも自分でトイレにいけているじゃないか」と言っても
「まだらボケよ」と取り合わず、
近所の人にも「こういう時だけ漏らさない」「娘が信じない」と
愚痴をこぼした。
父がかわいそうとは思ったが、放置した。父は若い頃は何人もの女性と
浮気を続け、家にも女性がやってきたことがあった。
そんな父を救う気には全くならなかった。
そんな母だから、「自分がいじめられていても、それを妄想だとされる
悔しさを十分に味わうがいい」と思って放置した。
今も母はその施設にいる。が、かなり弱った。
私に対しても命令口調で言うことが無くなった。
因果はめぐる。自分がやってきたことが帰ってくるのだと
その時はせいせいとしたが、先日、母をいじめていたヘルパーが
交通事故にあって重症と聞いて、因果応報に恐怖を感じた。
因果応報ってすごい