ものすごく几帳面で、家の中はいつも塵一つ落ちてなくて、こまごましたものの置き場所も一つ一つ決まっていた
こだわりが強くて、例えば靴下みたいな小さなものを買いに行っても
気に入ったものが見つかるまでスーパーやデパートを1日かけて巡り、結局買ってこないこともよくあった
基本的に他人に興味がなく、ウトや子供(夫と義妹)とも必要最低限の会話しかしないらしい
孫である義妹の子にも自分からは触ろうとせず、私にも嫁いびり的なことはなかったというか、関わってこなかった
完璧に家事をこなした後は、趣味もなくテレビも見ず本も読まず、縁側に出した椅子に座って庭を見つめていた
トメが何もしないでじっとしているのが我慢できなくなった
私は妊娠して産休に入って時間ができたので、近所のトメ宅に毎日のように凸した
トメはほとんど表情を変えない人ながら、迷惑そうだったwww
しかし私には秘密兵器があった
友達が骨折して家で静養していた時、退屈しのぎにジグソーパズルをやっていたという話を聞き、これだ!と思った
まず500ピースくらいの小さいものを持っていき、
「お腹が大きいから動けなくて、退屈しのぎにって友達がくれたんですけど、一緒にやりましょう」と誘った
トメはそもそもジグソーパズルを知らなかったが、チマチマした几帳面なことが好きなので、一発ではまった
すぐにもっとピースの多いものを欲しがり
「出来上がりの絵がわかっているとつまらないから、お金を渡すから(私)さんが買ってきて
絵が見えないようにして持ってきて」とのお達し
小箱をいっぱい用意して、同じ色系統のものを分け、その中でも1辺が直線のものとか形が似ているものとか
数日かけて分類するところから取りかかる
早々に私が手を引き、トメ一人でやるようになったことは気がついてないようだった
私に娘が生まれ、よちよち歩くようになる頃には、トメは仕上がりが畳サイズの大作に取り組んでいた
こうなると、トメの部屋の床はパズルで占められ、足にピースを引っかけて壊したり失くしたりするかもしれないと
ウトすら出入り禁止になったww もちろん赤ん坊なんてとんでもないwww
大作は値段も高いのでそうそう買えないが、トメは一度作ったものをまたバラバラにして、
今度は裏返しにして、無地のパズルを純粋にピースの形だけで組んでいく遊びを生み出していた
この辺りで、私は次の手を考えた
私やウトや夫はプロ野球が好きだ
私達がテレビで野球観戦していても、トメは自分の部屋でジグソーしていた
私は適当な試合を録画し、昼間トメに見せながら
「投手が内角に投げますよね、そうすると打たれたボールはこっちに飛ぶでしょ」といきなり技術論から入った
野球は数字に支配されているスポーツだ
この投手が140キロの速度で外角低めに投げたらこの打者は3割の確率で打ち返して、という理屈にトメははまった
そしてウトがビール片手に「原、打てよー」「桑田がんばれ」(そういう時代でした)と言っている脇で
トメはスコアブックをつけながら、併殺の6-4-3と4-6-3について考察していた
お気に入りの選手もできて、「今年は篠塚がいいのよ」とか「辻の守備機会がね」とかしゃべるようになった
遊びに来た義妹が「お母さんが野球見てる!しかも語ってる!」と驚いていた
夏の夜、縁側の戸を開け放して風を入れ、茶の間に集まって、ビールに枝豆、みんなで野球を見ていた
ごひいきが違うから、私や夫や子供たち、ウト、トメが歓声を上げる場面がそれぞれに違うのが可笑しかった
楽しかった
今はもう、ウトは逝き、トメは認知症で、元々無口なのがほとんどしゃべらなくなった
子ども向けの簡単なパズルさえ、やる気はあるがうまくできなくなってしまった
今どきの野球選手も覚えられない
さびしい
楽しみ方が解らないって人いるよね
うちの親父もそうなのかもしれない。
ついにおむつデビュー・寝たきりデビューのタヒにたがり親父だけど
なんかしてやらなきゃって気持ちになったよ
読み終わって胸がキューっと苦しくなった。さみしくなった。