母は着付けができたので、一般家庭の子よりも着物を着る機会は多かったんじゃないかと思う。
社会人になってからは自分だけの訪問着と小紋を仕立てた。
でも私は正直ズボラで着付けも下手。
常々着付けがもっともっともっともっと楽に、洋服並とは言わずとも浴衣並、できれば男性並に簡単になればいいのにと思っていた。
だから楽に着物が着られるなら何だってした。
浴衣ならお端折りを先に作って縫い付けたし、襦袢はうそつき襦袢にして襟をワンタッチで交換できるようにした。
それでもまだ足りなくて、着物を浴衣みたいに羽織るだけでいいように加工しようかと考えてた。
目指せ着付け5分。
裁縫上手な私の友達は着物を上下でカットしてしまったけど、さすがに私はそこまで勇気がない。
なんとか楽に着られないかと思って周りやネットにも助言を求めていた。
引用元:スレを立てるまでに至らない愚痴・悩み・相談part127
ちょっとした批判とかじゃなく、人格否定までして、
「あなたに着物を着る資格も語る資格も(語ったことはない)ありません!あなたに着られる着物が可愛そうです!」
とまで言われて、仕立てたばかりの着物の画像を見てセンスが悪いとか品が無いとまで言われた。
しかし、その仕立てたばかりの着物は世界でも名の知れた着物職人さんがデザインし
その職人さんが私に合うように一式コーディネートしてくれたものなんだよね。
私を貶してるようで着物職人さんや制作に携わった方諸々を貶してることになる。
そもそも私や着物を真っ二つにした友達も、最終目標は着物を美しく着こなすことなんだよね。
簡単に着られる、簡単には着崩れない、着物の手間とハードルを下げて着物を着られる機会を増やしたい。
ただそのために工夫を凝らしてるだけなのに、何がそんなに気に食わないんだろうな。
自分はこんなに着付け頑張ってるのに楽されてたまるかって心なんじゃない?
自分は今まで時間かけてやってきたのに、そんな簡単にできるなんて自分の時間が無駄だった気がする。それを肯定したくない。みたいな謎の理論持ってる人っているからね
「着付けも着物の目利きも完璧で、細かなルールも何一つ外さず着こなすことのできる特別な自分」が大好きなんだろうと思う
そういうルールが生まれてきた歴史があるんだからそれをきちんと引き継ぐことは大切だと思うけど、そこだけにこだわり過ぎたら着物人口が減る一方で、買う人が減ったら職人さんの生活が成り立たなくなって、着物が廃れちゃうのにね
着物を衣類のバリエーションのひとつと考えるか、古くからの日本文化を引き継ぐものの一部と考えるかの違いなんじゃないかな
後者の人達にとっては、不便なまま時間を割いて着付ける過程も着物を着る事の醍醐味なんだろうね
話がずれちゃうけど、玄関の上がり方、扉の開閉や座布団の座り方 箸の持ち方など洋服で色んなマナーを教えられてもピンとこなかったけど、着物を着るとマナー通りに動くと着崩れないし動きやすくてびっくりした
効率を求め着やすく動きやすくなると所作が崩れる、所作(型)が崩れると文化が壊れるって考えちゃう人が頑なに他人にもそれを求めてくるんだろうね
お花が好きでも、ガーデニング・アレンジメント・華道なんならドライフラワーや材料色々で造花を作るなど色んな方向性があるみたいに
人それぞれの趣味やアプローチ方法にケチつけないでほしいよね
とはいえ「◯◯が可哀想」である事に真っ当な理由があるのならキレ散らかさずに指摘するだけにしてほしいわ
まあ見ず知らずの人の着物にアレコレ怒り出すなんて普通じゃないし
その人は多分着物だけじゃなく自分が仕入れた知識が変に拗れちゃうタイプだったのかな
洋服だって昔は無かったファスナーやマジックテープ、新素材なんかで日々変化を遂げて今の形になったんですから、
着物だって時代に合わせて進化していっていいと思うんですけどね。
それを認めるのも文化の多様性じゃないのかなぁと。
私の着方が文化の崩壊だという人はドレスを着る際に全部のパーツを揃えて着ない人を批判するのかしら?と思ったりします。
>>708
私が世界の不特定多数の人に向けてズボラ着物を押し付けるような発言をしていて気に障ったとかなら解るんですけど
同じズボラ仲間やどんな形でも着物を着て町中を歩いて宣伝してほしい呉服店の関係者と話してただけなのに
そこに割り込んで、無視し続けても粘着されたのでびっくりしましたね。
いい顔をしない人がいるのも解りますが、見苦しい姿で出歩いているわけじゃないので関わらず見逃して欲しいところです。
お端折りの縫い付けも嘘つき襦袢も日常になってただろうな
日常的に着るなら、楽な方に流れるのが当たり前だもんね